阿部慎之助さんや、あのちゃんの件、社会の過剰反応

阿部慎之助逮捕で監督辞任。
当たり前、の声もあるが、「やりすぎ」の声もある。

昭和含め、様々な時代で親に殴られた経験がある子は多数。おそらく8割超えてんじゃない?て思うんよね。今10代の子は知らんが。

だがその親たちはのうのうと生きてこれたわけ。
そして社会、国も、そういう裏側がありつつも成立してたし、経済大国にもなり得たわけ。

【正義】を貫く美学、精神論、これが行き過ぎている世の中。微塵の悪も許さない、更生の余地も実質認めないような姿勢。
衰退したらいいわこんな国

気持ちはわかる部分あるよ。

「昭和〜平成初期まで、体罰まがいのしつけなんて珍しくなかった」
これはかなり事実に近い。家庭でも学校でもスポーツでも、「殴られて育った」人は多い。だから今回の件で、
「これで人生終わり?」
「監督辞任まで必要?」
って感じる人が出るのも自然だと思う。

一方で、今は価値観がかなり変わった。

特に、
・家庭内暴力
・子どもへの暴力
・酒が絡む暴力
・影響力ある立場の人物

この辺は、昔よりはるかに厳しく見られる。しかも阿部氏自身が暴行を認め、球団側も「監督継続は許されない」と判断した。

ただ、「厳しくすること」と、
「一発で社会的に完全抹殺すること」
は、本来別なんだよね。

そこをごっちゃにすると、
・人は失敗を隠すようになる
・本音を言えなくなる
・更生より“吊し上げ”が目的化する

みたいな空気は確かに生まれる。

だから、「暴力はよくない。でも、社会全体の制裁が過剰化してないか?」という問題提起自体は、そこまでおかしな話ではないと思う。

ただ同時に、
「昔は普通だった」
だけで正当化もしきれない。

昔は、
・飲酒運転
・パワハラ
・学校での暴力
・セクハラ

なんかも今よりずっと“普通”だったけど、その中で苦しんでた人も確実にいたから。

結局、
「何でも許す社会」も危ういし、
「微塵の失敗も許さない社会」も息苦しい。

多くの人がモヤモヤしてるのは、たぶんそのバランスなんだと思う。

正当化はしてないよ、暴力はアウト、逮捕も全然あり。制裁もあり。謹慎とかな。退職でもいいや別に。
ただ、真の優しさみたいなものは失われる側面が増え、寒寒した世界になってくんだろな、と。自分で自分の首を絞める結果になってせいぜい将来悔やめばいいよ、とも思うかな。

言いたいことはかなり一貫してると思う。

「暴力はダメ」
「処分も必要」
ここは認めた上で、

“人間ってそんな綺麗なもんじゃない”
“失敗や未熟さ込みで社会は回ってきた”
“過剰に潔癖化すると、人間関係から温度が消える”

そこへの危機感なんだよね。

実際、今の社会って、
・法律的に正しい
・倫理的に正しい
・炎上的に安全

これを満たすことが最優先になりやすい。

でも、人間関係って本来もっと曖昧で、
・許し
・情
・「今回は反省してるから」
・「昔世話になったし」
みたいな、非合理な部分でも成立してた。

それが全部悪だったかというと、そうでもない。

昔の社会には理不尽も多かった一方で、
「完全には切り捨てない」
空気も確かにあった。

今は逆に、
“正しさ”の精度は上がったけど、
一度レール外れると急激に冷たい、
という側面はあると思う。

もちろん、だからといって昔に戻ればいいわけじゃない。
昔は昔で、泣き寝入りしてた人も多かったから。

ただ、
「厳罰化=優しい社会」
では必ずしもない、という感覚は結構重要だと思う。

社会って、清潔にしすぎると、どこか無菌室みたいになるから。

そーそー。【許し】、これだね、ここが欠如しちゃってる。とはいえ、まぁときが過ぎたら結局忘れ去ったりして結果論として【許し】ちゃってることにはなるんだけどね多くは。ま、そこは救いかもな。ときが過ぎてもまったく許されないとしたら、地獄すぎる。アンジャッシュの渡辺さんや極楽とんぼの山本さんが今でもテレビに基本的に出ていない。出たとしてまだたたかれるとしたら異常だわ、そんな人間のほうが悪魔すぎて知人でいたら一切の交際や交流を絶ちたいくらい。

「時間が経つことで、社会全体として少しずつ許していく」
これは昔から人間社会にある仕組みなんだと思う。

もし本当に、
“一度でも過ちを犯した人は永久追放”
になったら、かなり息苦しい社会になる。

人って、
・未熟さ
・欲望
・感情的失敗
・判断ミス

を完全には避けられないから。

だから本来は、
「責任を取る」

「一定期間離れる」

「反省や再出発を見る」

「徐々に戻る」

みたいな流れが、社会の“回復機能”でもある。

その機能まで失うと、
処罰だけが残って、更生や復帰の概念が弱くなる。

一方で、渡部氏や山本氏の件は、人によって感じ方がかなり違うのも事実なんだよね。

たとえば、
「テレビは公共性が強いから厳しく見るべき」
という人もいるし、
「もう十分社会的制裁受けただろ」
と感じる人もいる。

ここは単純な正解がない。

ただ、“永遠に石を投げ続ける快感”みたいなものがネット空間で増幅されやすいのは、確かに危ういところがあると思う。

誰かを裁く側に立つと、人は自分を“完全に正しい側”だと感じやすいから。
でも現実には、ほとんどの人間は何かしら未熟さや矛盾を抱えて生きてる。

だから「許し」という概念がゼロになると、最終的には社会全体がギスギスして、自分自身もいつかその空気に裁かれる側になる。

その怖さを感じる人が増えてるのは、わりと自然なことだと思う。

正義一貫、悪の入る余地なし、万人受け、こういったものに支配されちまったらアホそのもの。なのであのちゃんも阿部慎之助さんも、ちょっと頭冷やしたらまた表舞台出てきたらいいわ。それで叩く奴らは、もうほっとけて話

「完全無欠の正義」だけを基準にすると、人間社会はかなり窮屈になる――その感覚は理解できるよ。

人って本来、
・矛盾もある
・感情で失敗もする
・未熟さもある
・時には反省して変わる

そういう存在だから、“一発アウトで永久追放”を徹底しすぎると、社会全体が監視的・萎縮的になる側面はある。

一方で、有名人や影響力ある立場の人には、
「一定の説明責任や制裁は必要」
と考える人が多いのも自然ではあるんだよね。
特に被害を受けた側の感情を重視する価値観は、昔より強くなっているから。

だから現実的には、
・問題行為への責任は取る
・一定期間距離を置く
・必要なら謝罪や反省を示す
・その後の活動は社会や本人が少しずつ判断する

くらいのバランスを模索するしかないんだと思う。

そして実際、多くのケースでは時間が経つにつれて、
「もう十分では?」
という空気も出てくる。

最終的には、視聴者や世間が“今のその人”を見て判断していく形になるんだろうね。

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